ミュンヘン&ノイシュバンシュタイン城~芸術を愛し、夢に生きた ロマンス王を巡るバイエルンの旅~
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1845年、ミュンヘンに生を受けたルートヴィヒ2世。幼い頃から詩や文学を愛した彼は、やがてドイツの音楽家ワーグナーの世界に心酔するようになる。生涯、現実から目を背け夢の理想郷を求め続けた”狂王”が残した美の世界とは。
◆目次◆
バイエルン王ルートヴィヒ2世と王の陶酔したワーグナーの世界へ
ルートヴィヒ2世の生涯
豪華絢爛なヴィッテルスバッハ家の遺産 ~ミュンヘン市内 芸術鑑賞~
王家の香り高き芸術が残る旧市街をぶらぶら歩き~ミュンヘン市内街歩き~
ルートヴィヒ2世が誕生したヴィッテルバッハ家の離宮へ
ノイシュヴァンシュタイン城~王の夢が生き続ける麗しき白鳥の城~
古城巡りツアー(ノイシュヴァンシュタイン城とリンダーホフ城)
ミュンヘンおすすめツアー
バイエルン王ルートヴィヒ2世と王の陶酔したワーグナーの世界へ
芸術の古都、バイエルン王国の栄華の物語に欠かせない人物、それは第4代バイエルン国王であるルートヴィヒ2世。ヨーロッパ一の美貌ともてはやされた王は、その強烈な個性と高い美意識がゆえに周囲の理解を得ることなく、”狂王”と呼ばれた波瀾万丈の短い生涯を終えた。 文学や歌といった芸術をこよなく愛した王が生涯にわたって陶酔したのが、楽劇王ワーグナー。16歳の時に観劇したオペラ「ローエングリーン」に深い感銘を受けた王は、これこそが自分が求めてきた理想の世界だと悟るまでに至った。 父の急死により18歳という若さで一国の主となった王は、戦乱が押し迫る中でも「国民に必要なのは歌と音楽の奇跡だ」と主張。ワーグナーを独断で宮廷へと呼び寄せたことで世論の反感を買い、そのことがさらに王を孤独への道へと歩ませることとなった。自身を取り巻く陰謀や争いに嫌気がさした彼は、すべてが貴く美しく、世俗世間が入り込む余地のない「夢の城」の建築を風光明媚なアルプス山の麓に思いつくようになる。そして、1869年着工されたノイシュヴァンシュタイン城をはじめとし、リンダーホーフ城、ヘレンキームゼー城と次々と王の理想を形にした城の建設が進められていった。なかでも、ワーグナー歌劇の世界観をテーマにしたとされるノイシュヴァンシュタイン城は、王の謎の死によって未完成のままとなったが、その崇高で美しい姿は、世紀を越えて今もなお、世界中から訪れる人々を魅了している。
ルートヴィヒ2世の生涯
ルートヴィヒ2世の生涯
1845年 | 8月25日、バイエルン王マクシミリアンとプロセイン王女マリーの長男としてニンフェンブルク城で誕生。 オットー・フリードリヒ・ヴィルヘルム・ルートヴィヒと名付けられる。祖父はミュンヘンを芸術都市として発展させたルートヴィヒ1世。 |
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1860年 | ワーグナーによる歌劇「ローエングリーン」を初鑑賞。このオペラの世界こそが、自分の思い描いていた夢だと気づく。この時を境に、ワーグナーに陶酔するようになる。 |
1864年 | 父の死により、第4代バイエルン王に即位する。予定されていた学業を諦め、王位に就くこととなった。ワーグナーをバイエルンへと呼び寄せる。 |
1865年 | 王の援助により、ミュンヘン宮廷劇場(現:州立歌劇場)にてワーグナーによる「トリスタンとイゾルテ」が初演される。 |
1867年 | いとこのゾフィーと婚約。結婚式の準備が進んでいた他、記念硬貨も作られていたにもかかわらず、王から一方的に婚約解消がなされる。その後の王は一生独身を貫いた。 |
1868年 | ノイシュヴァンシュタイン城の建設を思い立ち、翌年から着工が始まる。 |
1874年 | リンダーホーフ城の建設が始まる。1867年にフランスのベルサイユ宮殿を訪れたことをきっかけに最初の構想が練られた。1878年に完成。 |
1878年 | ヴェルサイユ宮殿を模したヘレンキームゼー城の着工を開始。 |
1883年 | 憧れてきたワーグナー死去。一方、相次ぐ城の建設により国家の財政は赤字の状態が続くようになる。 |
1886年 | 相次ぐ城の建設による財政困難、政情不安などによる恐慌がバイエルンで勃発。王の多額な出費に対する激しい批判が起こる。 精神病と診断された王は、王位を剥奪され、その翌日6月13日に付き添いの医師と共にシュタルンベルク湖畔で謎の死を遂げる。 |
ワーグナー
(Wilhelm Richard Wagner/1813-1883) 楽劇王の名で知られるドイツの音楽家。ベートーベンの「第九」に影響を受け、作曲を志す。ルートヴィヒ2世は彼に心酔し、多大な援助を行った。
豪華絢爛なヴィッテルスバッハ家の遺産 ~ミュンヘン市内 芸術鑑賞~
ルートヴィヒ2世を生んだヴィッテルスバッハ家は、1108年より740年に渡りこの地に君臨し、その間に音楽や建築などに優れた芸術の都を造り上げてきた。
St. Michael’s Church 聖ミヒャエル教会
ルートヴィヒ2世が眠る 壮大なルネサンス様式教会
大天使ミヒャエルを讃えたこの教会は、バイエルン王ヴィルヘルム5世によって建立された。大祭壇の「悪魔と戦う聖ミヒャエル」画が圧巻。
月-土: 10:00-19:00/日: 7:00-14:30
入場料/地下の見学には2ユーロが必要
行き方/マリエン広場駅から徒歩約5分
Bayerische Staatsoper バイエルン州歌劇場
1865年、ルートヴィヒ2世が陶酔したワーグナーによる楽劇「トリスタンとリゾルテ」の初演が行われた。その後も1868年ワーグナー唯一の喜劇となる「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が初演され、観客の間に絶賛の嵐を巻き起こした。
Residenz レジデンツ
欧州随一との呼び声も高い 豪華絢爛な王の宮殿
14世紀に建築がスタートし、500年もの間ヴィッテルスバッハ家の居城として使われてきた宮殿。 歴代の君主によって何度も増改築が行われ、現在の姿になったのはルートヴィヒ1世の頃とされる。 現在は博物館と宝物館が見学可能。ミュンヘンを訪れたら絶対に見逃したくない歴史的価値のあるものだ。
9:00-18:00/10月から3月は10:00-17:00
入場料/7ユーロ※宝物館との共通券10ユーロ
行き方/マリエン広場駅から徒歩約5分
王家の香り高き芸術が残る旧市街をぶらぶら歩き~ミュンヘン市内街歩き~
風情溢れる街中で感じる人々の活気
古くからバイエルン地方の中心都市として栄えてきたミュンヘン。 12世紀より宮廷芸術や文化が花開いたこの街を、近代的な美しい街並に発展させたのが、“狂王”の名で知られるルートヴィヒ2世の祖父であるルートヴィヒ1世だ。 彼は、王都ミュンヘンを「ドイツの芸術、学問、建築の中心」とすべく都市改造を進めていった。 ロマン主義に傾倒した王は、ミュンヘンを「北のアテネ」にするべく、イタリアなどから建築家を招聘して文化的な都市を目指した。 そのため、ミュンヘンの街は他のドイツの都市に比べて、イタリアバロック建築の影響を受けた装飾的で壮麗な建物が多いことが特徴となっている。 第二次世界大戦で壊滅的な被害を受けたこの街は、住民投票により戦前の美しい姿のまま再現することが決められた。
市庁舎、マリエン広場、フラウエン教会が設けられている街の中心部。 街のシンボルともなっているフラウエン教会を遠くからでも見てとれるように、と中心地の建物の高さには制限がなされているためか、整然とした街並が印象的だ。 そこから西へ伸びるカウフィンガー通り〜ノイハウザー通りにはレストランやブティックがずらりとひしめく歩行者天国。 ぱりっとした歯ごたえが絶品の焼きソーセージを手にミュンヘンっ子に交じって、さあ街へ繰り出そう!
ルートヴィヒ2世が誕生したヴィッテルバッハ家の離宮へ
Schloss Nymphenburg ニンフェンブルク城
1662年にマックス・エマヌエル皇太子の誕生を機に造られたヴィッテルバッハ家の離宮。 祝賀広間の天井画や美人画ギャラリーなど見所が沢山。 広大な敷地に本館や庭園、離宮礼拝堂などが点在するこの宮殿は、ルートヴィヒ2世が幼少期のほとんどを過ごしたことで知られている。 2世が生まれた部屋や馬車なども展示されているので、時間をかけてゆっくり見学したい。
ノイシュヴァンシュタイン城~王の夢が生き続ける麗しき白鳥の城~
美しい城と森の景観はロマンティック街道のハイライト
波瀾万丈の人生を生きながら、清らかで美しい世界へ終わりのない情熱を傾けた悲劇の王、ルートヴィヒ2世。王の愛したこの地でそれは永遠に輝きを放つ。
Neuschwanstein Castle ノイシュヴァンシュタイン城
ロマンティック街道の南端、東アルプスの麓のアンマー山地の急な斜面に建てられた「新白鳥城」という意味を持つ、ノイシュヴァンシュタイン城。 眼下には神秘的で壮大な森や湖が広がり、辺り一帯は清々しく荘厳な空気に包まれている。
バロック、ゴシック、ルネサンスなどあらゆる建築様式を取り入れて作られた城は、王が陶酔するワーグナーに捧げる殿堂として、城全体が一つの物語の舞台となることが徹底的に優先された。 城内に足を踏み入れると、五感を通してその事が実感できる。ワーグナーの歌劇を題材にして描かれた壁を埋め尽くす絵画は、まるでこの場でオペラが演奏されているかのような躍動感に溢れ、また、巧妙に造り込まれた空間はドラマティックな舞台装置に囲まれているかのよう。
1869年から始まった城の建築は、王の突然の死をもって未完成のまま残されることとなった。 費やされた17年間のうち、たったの172日間だけしかこの「夢の城」に住む事が出来なかった孤独の主。 完成図を頭に描いたまま彼は、どのような想いで人生の終わりを迎えたのであろうか。 「私の聖殿を、好奇心の強い人々に汚されないように守ってくれ」と言い残して、この城を去った王。 運命に翻弄されたながらも、 穢れなき美しい世界を最期まで求めた彼の果てしなき思いは、今この時も人々に深い感動を残し続けている。
Schloss Linderhof リンダーホフ城
王の生存中に唯一完成された華麗な別邸
フランス王室に憧れを抱いていた王が、バイエルン州南西部オーバーアマガウ近くにヴェルサイユ宮殿のトリアノン宮を手本にして造らせた宮殿。 館内に埋め尽くされた金の装飾が、華美で優雅な雰囲気を醸し出している。 誰にも会わずに食事が出来るようにと、階下に昇降り可能な食卓など、驚くような装置が設えられている。
9:00-18:00/10月から3月は10:00-17:00
入場料/6ユーロ※他施設との共通券11.5ユーロ
行き方/ミュンヘン中央駅からトラム「17番」に乗りSchlossNymphenburg(シュロス・ニンフェンブルク)で下車し、徒歩約10分
Schloss Hohenschwangau ホーエンシュヴァンガウ城
王の人格形成に大きな影響を与えた“おとぎ物語”の城
1853年に父マクシミリアン2世が、12世紀に建てられたまま荒廃していた城を再建させたもので、ルートヴィヒ2世は人生の大半をここで過ごした。 城内の至る所には、中世騎士伝説を描いた壁画が描かれており、夢想の世界に王がのめり込むようになったのは、この城の影響が大きいとされている。
古城巡りツアー(ノイシュヴァンシュタイン城とリンダーホフ城)
ルートヴィヒ2世の軌跡をめぐるドイツ観光ハイライトの1日ツアー。ミュンヘン市内を出発し、郊外に広がる田園地帯や山々を眺めながら一路リンダーホーフ城へ。王が唯一完成させたという白亜の宮殿を観光したあと、オーストリア国境近くの小さな街 オーバーアマガウへ一旦立ち寄り、メインとなるノイシュヴァンシュタイン城へ。ここからは、王が青年期を過ごしたホーエンシュバンガウ城も一望できる(外からの見学のみ)。
料金:(大人1名) 7,300円 英語ガイド:ノイシュヴァンシュタイン城では、日本語解説のヘッドホンが渡されます。リンダーホフ城では、日本語解説は確約できません。 時間:10時間30分 含まれるもの:ミュンヘン市内からのバスによる移動
注意事項: 2つの城の入場料(21€/変更の可能性あり)はツアー代金には含まれておりません。 当日ガイドにお支払い下さい。 また、途中立ち寄りのオーバーアマガウでは、昼食の時間は設けられておらず、ノイシュヴァンシュタイン城見学の際も、城の入場時間によっては飲食が難しい場合もございますので、ご自身で持参されることをおすすめさせて頂きます。また昼食代は実費となります。 専用車のプランや、フュッセンとヴィース教会を一度に巡るツアーもございます。詳しくはお問い合わせ下さい。
オプショナルのお申込み・お問い合わせ
TEL: 03-6630-0202(月-土 10:00-18:30)
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