ライン川クルーズ~歴史に彩られた 「父なる大河」を遊覧~
主に11世紀から13世紀にかけて建立された城の時代背景を知ることで、古城観光がより思い出深いものとなる。
◆目次◆
激動のドイツ中世史をめぐるタイムライン
歴史に彩られた 「父なる大河」を遊覧
風光明媚なライン川を優雅にクルーズする一日観光(フランクフルト発)
ライン川の恵みをいっぱいに受けた 世界有数のワインの産地
おすすめツアー
激動のドイツ中世史をめぐるタイムライン
11世紀
962年に成立した神聖ローマ帝国では皇帝権は教皇権とともにキリスト教世界の権威と権力を二分していたが、皇帝の教会に対する影響を恐れた聖職者との間に叙任権をめぐる争いが勃発する。1076年には、グレゴリウス7世が教皇権が皇帝権に対し優位にあることを主張し、当時の皇帝ハインリヒ4世を破門するなど双方の争いはますます激化していく。 帝国と教会との間に権力を巡る闘争が勃発、混乱の時代が続く。
ライヒェンシュタイン城 (MAP-2)
コルネリ修道院大聖堂により築城されるが、13世紀に盗賊の巣窟となったため、皇帝ルドルフに一掃された。廃墟となっていた城は19世紀に再建され現在はホテルとして利用されている。
ゾーネック城 (MAP-3)
ライヒェンシュタイン城の守護城として、コルネリ修道院第聖堂の執事によって建てられた。 こちらも盗賊の館となり、同様にして破壊される。1918年に国有化され博物館として見学が可能。
12世紀
1122年に皇帝ハインリヒ5世と教皇カリトゥス2世の間に協定が結ばれ、長年続いた叙任権闘争にピリオドが打たれる。キリスト教の宗教熱が高まるなか、聖地エルサレムの奪還を目的に十字軍が送られイスラム教諸国との対立が深まっていく。十字軍の遠征で華やかなイスラム文化がヨーロッパに広がり、この後に続くルネサンス時代の基盤となる。 宗教対立から始まった十字軍の遠征が始まり、暗黒の時代へ突入
シュタールエック城 (MAP-5)
ケルン大司教により築城される。1214年にバイエルン大公オットー2世が城を受け継いだ。17世紀に破壊された建物は当時のまま修復され、現在はユースホステルとなっている。
シェーンブルク城 (MAP-8)
1166年に皇帝フリードリヒ1世が、戦功を讃え家臣に与えた城。ライン川を通る船からの税金と領内で豊富に生産されるワインから財源を得て、堅固な城が造り上げられた。現在はホテルとして営業。
13世紀
十字軍によって東西貿易が盛んになり、東方の進んだ建築技術がもたらせれたことにより、城の防衛機能が飛躍的な向上をみせる。 また、築城が最盛期を迎え、この時代だけで1万を越える城が建設された。一方、神聖ローマ帝国の王朝、シュタウフェン朝では、1250年にフリードリヒ2世が死去した後、次男のコンラート4世もわずか4年の在位で死去、王位を世襲する有力な家門がなかったことから、王権が不安定となる。 1273年にハプスブルク家のルドルフ1世が即位するまで、実質的皇帝が不在の大空位時代と呼ばれる時代が続いた。この時期、皇帝の力はだんだんと弱まっていき、選帝侯など貴族の影響力が極端に増していった。 築城がピークを迎えた時代。皇帝不在のなか、貴族の力が強まっていく。
ラインシュタイン城 (MAP-1)
ハプスブルク家出身のルドルフ1世が、盗賊騎士の討伐を行う際に拠点とした城。現在は元オペラ歌手のヘルマン・ヘッヒャーの所有で、古城博物館として一般に公開されている。
フュルステンベルク城 (MAP-4)
バッハラハ周辺の司教区所轄物を守るためにケルン大司教により造られた。17世紀のプファルツ継承戦争中に破壊され、そのまま廃墟となった。現在は個人所有となっている。
グーテンフェルス城 (MAP-7)
神聖ローマ帝国の命令でライン渓谷の軍事拠点として建造された。1252年に攻撃を受けるが高い防衛機能で陥落を免れた。現在は個人所有のホテルとなっている。
ラインフェルス城 (MAP-9)
カッツェネルンボーゲン伯爵が、ライン川を航行する船からの徴税のための城として1245年に築城。何度も攻撃されるも難攻不落の頑丈さを誇った。現在は城塞博物館とホテルとして利用。
14世紀
皇帝権の弱体化と共に、力を強めていった諸侯が各地に領邦と呼ばれる小国家を形成するようになる。 この頃の都市は、領主に属する領邦国家と、帝国直属の帝国自由都市とに二分された。ライン川流域には帝国直属都市が数多く作られ、流通の中心として発展していく。 14世紀に北ドイツでハンザ同盟が結成され、北部ヨーロッパの交易を支配するようになる。 物流を軸として都市が発展、領邦国家と帝国自由都市に分離する
プファルツ城 (MAP-6)
ライン川の通行税をより厳しく取り立てるために1327年に建てられ、1866年の徴税廃止まで関所として使われていた。現在は博物館となっており、見学可能。
カッツ城(ネコ城) (MAP-10)
1371年にカッツェネルンボーゲン家によってライン川沿いの領地を守るために築城された。伯爵の名前に由来のある城の名をもじってネコ城と呼ばれている。現在は個人所有となっている。
歴史に彩られた 「父なる大河」を遊覧
スイスからドイツやフランス、オランダなど9カ国を通り、最後は北海に流れ込む全長1,223kmのライン川。うち698kmがドイツを流れており、中世から近世において物流の大動脈としてこの地方の発展に大きな役割を果たしてきた。 「ロマンティック・ライン」と名が付けられた中流域のマインツ〜コブレンツ間には、川を行き来する船から通行税を取るために中世の時代に建てられた城が建ち並んでいる。 これらの古城を船上から眺めるクルーズが催行されており、約1時間の距離にあるフランクフルトからだと日帰りも可能とあって、ドイツ観光の目玉として人気を呼んでいる。 このクルーズの醍醐味は何といっても、目を離す暇もないほど右から左に次々と現れてくる古城や川沿いの美しい街並。それらが目の前を過ぎていく様子はまるで歴史映画のワンシーンを見ているかのよう。 丘の上には、葡萄畑や緑濃い森の木々が果てしなく広がり、そののどかな風景は心に安らぎをもたらしてくれる。 後半、バッハラッハを過ぎてからがクルーズのハイライト。川の中に建てられたプファルツ城を過ぎ、伝説が残るローレライの丘、伯爵の名からその名が付いた通称ネコ城などがめまぐるしく目の前に迫り、思わずその世界に引き込まれてしまうほどだ。
風光明媚なライン川を優雅にクルーズする一日観光(フランクフルト発)
フランクフルト出発後、川沿いの街アスマンスハウゼンに到着し、中世風の店内がユニークなレストランにてランチ。その後は、ザンクト・ゴアルスハウゼンまで約1時間半のクルーズを楽しもう。クルーズ船にはレストランやバーも完備されているので、この地方で作られているワインを味わいながらのんびり過ごしても。リューデスハイムに一旦立ち寄った後、帰路に着く。
料金:(大人1名)11,600円 英語ガイド(クルーズ上では、備え付けの日本語解説音声あり。) 時間:8時間 含まれるもの:フランクフルトから往復送迎、英語ガイド、クルーズ乗船、ランチ
注意事項: 昼食、クルーズ時の飲み物は含まれておりません。 半日観光のプランやハイデルベルグ観光などのコンビプランもございます。詳しくはお問い合わせ下さい。
オプショナルのお申込み・お問い合わせ
TEL: 03-6630-0202(月-土 10:00-18:30)
ライン川の恵みをいっぱいに受けた 世界有数のワインの産地
ライン川流域のラインガウ地方は、ドイツでも有数のワインの名産地。 ここで栽培される葡萄の多くが最高品種とされるリースリング種で、極上の白ワインが造られている。
ドイツを原産とするこの白葡萄は、耐寒性があるため比較的冷涼な土地でも栽培が可能。とはいえ、高緯度に位置し日照時間も少ないこの地方でワイン製造が盛んなのは、ひとえにライン川の恩恵にある。 川の沿岸部一帯には、太陽の光が川面の反射によって温かい空気が流れ込み、さらに寒い時期になると、水温との気温差によって生じた霧が、寒さから葡萄を守ってくれるのだ。 この地方やフランスのアルザス地方などの寒冷地において、良質のワインが生産できるのは、川の流域という土地の利点を活かしたものである。 ここで、ぜひとも味わって欲しいのは、アイスワイン。 これは氷結した葡萄から造られるデザートワインで、零下7度以下の晩秋〜冬の時期、凍ったままの葡萄から造られるもの。糖分や旨味がぎゅっと凝縮された果汁が、酸味と甘みのバランスの良い極上の味を造り出している。
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