アウシュビッツ収容所へ自力で行くには?攻略レポート【旅プロ旅行記】
アウシュビッツ収容所(正式名アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所)はポーランドの古都クラクフからバスで1時間30分の場所にあります。この記事はトラベル・スタンダード・ジャパンの「旅のプロ」がガイドも付けず、オプショナルツアーにも参加せず自力でじっくりとまわった旅行記です。皆様の追悼の旅の参考にしてくださいね。
ずっと追悼に生きたかったアウシュビッツ収容所へ
20世紀最大の悲劇と言われる世界遺産・アウシュビッツ強制収容所(正式名称はアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所)内でのユダヤ人の虐殺。この目で事実を確かめ、追悼したいと常に思っていた場所に、ついに旅発つ日がやって来ました。
「アウシュビッツ」という名前がドイツ語であることからドイツにあると思われている方も多いと思いますが、アウシュビッツ強制収容所はポーランドの古都クラクフからバスで1時間30ほどのオシフィエンチム(Oświęcim)という場所にあります。
ワルシャワ・ショパン空港からアウシュビッツ強制収容所への玄関口でもある古都クラクフまでの移動方法、収容所に行くための準備、入場までの注意、予約方法など重大なことはすべて
「アウシュビッツ収容所の場所はどこ?行き方&予約攻略法を旅のプロが伝授」
の記事に詳しく書かせていただいたので、必ずそちらをお読みください。この旅行記が皆さんの「追悼の旅」のヒントになれば幸いです。
アウシュビッツ第2収容所ビルケナウの引き込み線
クラクフでのホテル選び
ワルシャワ・ショパン空港から、ワルシャワ中央駅に出て、クラクフ駅には夜到着。
翌日はバスターミナルからバスに乗りアウシュビッツ強制収容所に向かうのですが、バスターミナルは駅のすぐ近くにあります。
Kraków Główny(クラクフ中央駅)
【旅プロのおすすめ】よく歩く旅には高級ホテルを選びたい!
私は旅先では見学に集中る方。せっかく訪れた場所ですから、くまなく巡りたいのです。
グルメ旅や、リゾートでのんびり派というわけではありませんが、ホテルはリラックスできる高級ホテルに泊まるようにしています。それだけで、フライトの疲れも取れ、翌日からの動きも機敏に。
というわけで、今回はシェラトングランドクラクフに泊まることにしました。
フライトの疲れも飛んでいくふかふかベッド
バスターミナルに近く、帰りのワルシャワ行きの列車にのるのも便利な、駅の近くのホテルにすれば良かった・・・とも思いました。しかし駅前はどちらかというとリーズナブルなホテルが多く、高級ホテルは旧市街に近い風光明媚な場所にあります。
それに、クラクフの旧市街は14~16世紀、ポーランドの王都でした。第二次世界大戦で破壊されず奇跡的に残った旧市街は世界遺産に登録されているのです。せっかくのクラクフ滞在ですから、町の雰囲気も観光もでき、最終的には良かったです。
ポーランドは物価が安いのでクラクフ駅からタクシーでホテルに向かいました。
クラクフの旧市街は世界遺産
クラクフからアウシュビッツ強制収容所までの道のり
この旅を決めた時はアウシュビッツ強制収容所の唯一の公認認定日本人ガイド・中谷剛さんにガイドをお願いしようと思っていましたが、残念ながら旅程が合わず断念。詳細は「アウシュビッツ収容所の場所はどこ?行き方&予約攻略法を旅のプロが伝授」をご確認ください。
じっくりとアウシュビッツ強制収容所をまわることに決めていた私は悩んだ挙句、オプショナルツアーも着けず、自力で行き、個人での入場を決めました。
アウシュビッツ強制収容所にはガイドツアーしか入場できない時間があり、私が行った10月は10:00~16:00がその時間にあたりました(シーズンにより異なります)。そのため、朝一番のバスでアウシュビッツ強制収容所に向かうことにします。
ここで、とても重要なこと!バスターミナルに行くと、表記にアウシュビッツ(Auschwitz)というつづりでの案内はありません。アウシュビッツ強制収容所はオシフィエンチム(Oświęcim)という場所にあり、「Oświęcim」行きの表示や時刻表が出ています。
私は無事に6:20のバスに乗り、1時間30分でアウシュビッツ強制収容所に到着することができましたが、まずバスの運賃の安さに驚愕!
1時間30分もバスに乗るのに1人PLN15(約460円)でした。ポーランドの物価の安さは本当にありがたい。
バスは1人PLN15(約400円)とコスパ良すぎ
ランチの期待はできない。入場前にホテルの朝食BOXをいただく
前日、シェラトングランドクラクフのチェックイン時に「翌日朝一番のバスに乗るので、朝食をお弁当にしてください」と依頼。5:30という早朝にシェラトングランドのフロントで、朝食のお弁当を無事に受け取り出りました。良いホテルに宿泊すると、融通が利くという点も良いと思います。
この旅のメインであるアウシュビッツ強制収容所を余すことなく見るために、今回はランチは考えていません。ということで、入場口前のベンチで朝食です。
収容所内部にはしっかりとしたレストランがあるわけではなく、場所柄、入場後に食事をする気が失せるような人も多いかと。
シェラトングランデの朝食BOXは、種類豊富でした
食事を終え、いよいよ入場です。アウシュビッツ強制収容所の入場はオプショナルツアーでの入場以外、公式サイト上での予約が必須です。そして、下記がとても大切!
◆パスポートは必ず持参
ポーランドでは博物館や美術館などの入場時にパスポートが必要です。忘れると入場できないので注意してください。
◆大きな荷物は有料のクロークへ
収容所の中には小さなバックしか持ち込めません※30cm × 20cmまでが限度
◆トイレについて
トイレはこの入場口にある建物しかありません。済ませていくこと ※有料トイレです。
アウシュビッツ強制収容所のエントランス
ガイドが同行しないので入場料は無料
◆日本語案内書購入が便利
ガイドを付けずに個人で入場する方は、入場口の建物にある売店で日本語のガイドブックを買うと、効率的にまわれる上に、その場所にある棟の展示が何なのか、はっきりとわかります。日本人なら、英語のガイドを付けるより、この本を購入する方が頭に入りやすいはず。ガイドのテンポではなく、自分のペースで歩き、その場所で広げて読めるというのも利点です。PLN15 (約460円)とお安め。
これ1冊あればガイドなしの個人入場でも理解できます
一生に一度は見ておきたいアウシュビッツ強制収容所
手荷物検の後、入場しました。大勢の人が待っているのはアウシュビッツ強制収容所のガイドさん。ガイドを付けない私たちは待たずに中へ。
手荷物検査があります
アウシュビッツ強制収容所はヨーロッパ全土で「人種による迫害という過ちを2度と繰り返さない」という学習のために、必ず見学すべき場所となっています。そのため学生の姿がとても目立ちます。またアウシュビッツ元収容者の子孫の方が多いイスラエル人の姿も多く、この場所が永遠に彼らの追悼の場所であることがわかります。
年間約140万人が訪れる祈りの場所・・・そういった意味でも常に多くの人が訪れるため、朝一番の入場がおすすめ。特にガイドを付けずにはいる場合は、入場してしまえば閉館までいても追い出されません。空いてて見やすいうちにじっくりと見ることを考えると、早朝クラクフを出発して本当に良かったと思いました。
ヨーロッパ全土の人々が若いうちに訪れる場所
整然と並ぶ収容所の建物
アウシュビッツ強制収容所の中でも、世界的知られている収容所の正門には「ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)」というスローガンが書かれています。結局は「働けば死んで自由になれる」かのように、確率的には10人に1人も生還できなかったと言われています。
ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)
このスローガンをよく見ると「B」の文字が逆さまに見えませんか?このことから「収容者が抵抗をして造った」という説があるそうです。しかし実際にはこの書体は当時の流行だった、という説が濃厚なのだとか。
様々な論議を呼ぶ「B」
建物の周辺には、未だに鉄線が巡らされています。当時は約220ボルトの電流が流されていました。収容所のあまりにも酷い環境に耐えられなかった人は、鉄線に身を投じ自殺したそうです。
今もそのまま残る鉄線
一見するとヨーロッパの住宅が並ぶ街並みに見えてしまう収容所内。わずか75年前にはここで大勢の人が「ユダヤ人」というだけで理不尽すぎる酷い仕打ちを受けていたのです。とても複雑な思いがよぎります。
ガイド同伴のツアーの場合は、ある程度まとまった人数で、見るべき棟のみに入場することになりますが、私のように個人で巡る方の場合は、各号棟に立ち寄りドアが開けば「あ、ここは入れる」というように判断し、隅々まで見学しましょう。
個人の場合は自由度が高い分、ガイドブックを参照し見るべき場所は抑えたい
各地から集められたユダヤ人たちの運命がわかる4号棟
この図はユダヤ人たちを乗せた列車がどこから出発したかを記した図。窓もない動物用の貨物にぎゅうぎゅうに詰め込まれ、ヨーロッパ各地を出発。長旅で5日以上という場合もあり、トイレもない貨物の内部は最悪な状態。体力のない方は貨物列車の中で亡くなることもあったのだそう。
ヨーロッパ各地から貨物に載せられてユダヤ人が運ばれてきた
三種類に「分別」される人々
鉄道で運ばれてきた人々は、労働、人体実験、労働不適合者として分けられ、労働不適合者は殺害されるためにガス室に続く列に並ばされます。その多くが女性、老人、義足などを付けた障がい者、幼い子どもでした。なんと、労働不適合者は約75%。収容所に入ることもなく殺された人が大部分を占めます。
当時は他の収容者にガス室で殺害される人々の存在を隠すべく、巧妙な仕掛けがしてありました。「シャワーを浴びる」と信じこませるために、脱衣所のハンガーに服をかけさせ、シャワー後に着るものだと安心させます。しかし、ガス室で殺された人々の遺体を処理するのは、同じ収容者。シャワー室の列に加えられたらどうなるのか、少しずつ広まります。この模型にはガス室で殺害されるまでの様子が細かく表されていていました。
脱衣所からガス室までの模型。目をそむけたくなるような事実
ガス室で使われ、多くの命を奪ったチクロンB。もともと殺虫剤だったため、人を殺すには時間がかかり、ガス室に閉じ込められた人々は15分以上苦しみ、絶命しました。
毒物の詳しい説明が書かれた書類
毒ガスに使われた薬品の空き缶が山のように積み上げられています。いったいどれほどの数が使われたのでしょう・・・。
おびただしい数の薬物の空き缶
どくろマークがいかに危険な薬物なのかを教えてくれます
「安住の地を与える」とだまされて連れてこられた人も多く、移動のために貴重品や財産、日常で使う食器などを持てるだけ持ってきた人が大半でした。それらは全て没収されます。存在しない土地を購入させる手口でだまされた人もいて、当時のナチス。ドイツがいかにユダヤ人に対して冷酷だったのかがわかります。
撮影禁止のコーナーには強制的に刈られた収容者の毛髪で作られた毛布があり、言葉を失います。布として加工された髪の毛は、売りに出され、利益は国家資金されていました。購入した人は何から作られているのか、そして誰の髪の毛だったのか知っていたのでしょうか・・・。
収容者が持参した食器の数々
第11棟の中庭にある死の壁
第11棟にある中庭は、決して通り過ぎないように。第11棟から連れ出された死刑囚が銃殺された「死の壁」があります。
この日も多くの学生の姿が・・・
追悼の花が絶えることはない
今も煤が黒々と残る焼却炉とガス室
模型で示されていたガス室や焼却炉の実物が、そのまま収容所内に残っています。ここには焼却炉。今も黒々と残るすすが、どれだけの遺体を焼き続けてきたのかを物語ります。
焼却炉のあった棟
未だ正式な人数が出せぬほど多くの人々が入れられ、殺害されたガス室。そして併設されていた死体焼却炉は1日に340人もの死体を焼くことが可能だったそうです。
ガス室
収容者の遺体が次々と焼かれていった焼却炉
ここにいた人々を忘れてはいけない。誰もがそう強く思います
アウシュビッツ強制収容所の収容者が解放された1947年。収容者ではない人がこの場所で処刑されました。初代アウシュビッツ強制収容所・所長であるSS大佐ルドルフ・ヘスです。数々の残虐な行為を容認し、見るに堪えない劣悪な環境でユダヤ人を働かせたその人が、裁判で裁かれ、多くの収容者が殺害された場所で処刑された場所は、周囲とは違った雰囲気を放っています。
SS大佐、ルドルフ・ヘスが処刑された処刑台
アウシュビッツ第2収容所ビルケナウ
これまで見てきた場所はアウシュビッツ強制収容所の第一収容所にあたります。見学を終えたら、第二収容所であるビルケナウへ。歩くとかなりの距離がありますが、無料のシャトルバスが約15分おきに出ているので利用しましょう。
この場所、みなさんも写真で見たことがありませりませんか?
ここはユダヤ人輸送列車の侵入口でした。列車は収容所内の降車場に止まります。ここに連れてこられたら、出口は焼却炉の煙突だけだったと言われる地獄への入り口だったのです。
ちなみに、私は第一収容所からまわりましたが、ガイド付入場などの規定があるのは第一収容所のみです。もし依頼したガイドの時間が午後遅めだった場合や、個人入場で夕方から第一収容所に入場する場合、先に第二収容所ビルケナウを見学しておくのも効率的。ビルケナウは屋外展示がほとんどなので、入場も退場も自由なのです。
侵入口から列車で入れば、出口は遺体焼却後、煙になって空へ行くのみ・・・
アウシュビッツ強制収容所で起こった悲劇を象徴するのがこの貨物。旅客車ではなく、椅子もない、窓もない貨物で何日もかけて人間が運ばれるという、尊厳も何もない運搬です。
人が長時間乗れる造りではないのは一目瞭然
第一収容所が屋内での展示物が多い中、第2収容所であるビルケナウ収容所は屋外での見学がメインになります。とても広大で、とにかく歩きます。
広大な敷地に収容所のバラックが並ぶ
収容所の建物は電流が流れる鉄線に囲まれ、脱走できた人はほんのわずか
証拠隠滅の跡
第2収容所ビルケナウには、破壊されたガス室や焼却炉が目立ちます。これらは全てドイツ敗退が濃厚になった時、ドイツ軍が虐殺の証拠を隠滅するために破壊したもの。
いつか行きたいと思っていたアウシュビッツ強制収容所でしたが、見終えた後はしばらく放心状態に。何の罪もないのに収容所に無理やり連行され、収容され、殺害された150万人以上の人たちがいたことを、私たちは決して忘れてはならないと思いました。
一生に一度は訪ねたい心に刻まれる世界遺産です。
破壊された建物がたくさん・・・
焼却炉やガス室のような虐殺の証拠となる建物は破壊
帰りはバスでクラクフへ
クラクフまではバスで帰ります。来た時と同じ停留所からバスが出るので乗車しましょう。ちなみにクラクフ行きのバスは午後1時間に1~2本。到着時に戻りのバスの時間を写真に撮り、敷地の広さを考えバス停に戻ることをおすすめします。
早朝に発ったクラクフ中央駅に私が到着したのはもう夕方。歴史ある街並みに戻り思わずほっとするほど、アウシュビッツ強制収容所は驚きと悲しみの連続でした。
犠牲者の方の無念な思いを風化させないためにも、足を運んでくださいね。
クラクフ中央駅のバスターミナルには夕方着
所在地:Ul. Wiezniow Oswiecimia 20, 32-063 Oswiecim
開場時間:7:30~19:00(6〜8月)7:30~18:00(4・5・9月)7:30~17:00(3・10月)7:30~15:00(1・11月)7:30~14:00(12月)7:30~16:00(2月)
※1月〜3月・11月の10:00~13:00、4月〜10月の10:00~16:00、12月の10:00~12:00はガイドツアーのみ入場可。詳細は公式サイト要確認
身元確認のため、要パスポート持参
公式サイト:http://auschwitz.org/en
定休日:1月1日、12月25日、聖日曜日
入場料:無料(ガイドツアーは有料)